このTシャツは93年にアデレードで買ったものです。かのアイルトン・セナが最後の優勝を飾ったF1オーストラリアGPの翌日です。2時間の自由時間で唯一買ったお土産でした。そう、私はクイーンの、いやフレディーのファンでした。
夢ってすぐ忘れちゃうものですが、いつまでも覚えている夢もありますね。私も今でもはっきりと思い出せる夢がいくつかあります。その1つが、大学生の頃に見た“クイーンのメンバーになるオーディションを受けた夢”でした。
このオーディションに合格すれば、晴れてクイーンのメンバーに。
試験は『Somebody To Love』のコーラス部分を歌うというものでした。
いつも口癖のように出てくる♪Find me sombody to love, find me……のフレーズがうまく歌えないのです。
するとそれを見かねたロジャー・テイラーが、タクトを振りながらFind me someboy toと一緒に歌ってくれるのです。あのしわがれ声で。クイーンのメンバーになるまたとないチャンスなのに私といったら全然うまくいかなくて。なんとかうまく歌おうとするけど、高音がでないとかハモれないとか以前の問題で、ロジャーの指揮と大きくずれてしまうのです。
そこで目が覚めました。オーディションの結果は推して知るべしだから、そこで目が覚めてよかったのでしょう。うまくいかなかったものの、夢のような夢を見ることが出来たなあとたまに振り返ることがあります。
フレディーが亡くなる前の日は宿直でした。フレディーがエイズにかかっていると公表したとのニュースをテレビで見ました。翌日、夕刊の早版を見ると、なんとフレディーが亡くなったとあるではありませんか。エイズ公表の翌日だったので、とっさに自殺では?と思ったくらいです。外報部へ行き、記事の全文を読みました。
その時は悲しみはなかったのですが、何度か思い出しては胸が苦しくなります。『Miracle』聞きました。『Innuendo』聞きました。詩がちょっと説教臭くなってきたなと思いながら。病の恐怖と苦しみを歌った『I'm Going Slightly Mad』、それでも前向きに生きようとする『Show Must Go On』。フレディーが亡くなるまで、歌の真意を理解できなかった自分自身が恥ずかしかったです。
ヒット曲が出なくてもいい。
ライブもやらなくていい。
ただ生きてさえくれれば、それでいい。
今にしてそう思うのです。
1番好きなアルバムはと聞かれたら、ちょっと迷って『Queen II』をあげるでしょう。Black Sideの曲は全部好き。
今日はフレディーの命日。